株式会社シナプス代表取締役

1959年生まれ。1982年松下電器産業株式会社入社。FA関連機器のマーケティング業務を担当し、市場調査、商品企画、広告宣伝、販売促進など広くマーケティング実務に従事。
その後、三和総合研究所にて経営コンサルティングに従事。

1997年、シナプス設立。マーケティング戦略構築から、マーケティング施策の現場導入を支援する。これまでベンチャーから一部上場企業まで400社を超える企業にマーケティングを中心とした経営提言、指導を行っている。

講師としては、企業からの社内研修を中心に、中央大学非常勤講師、グロービス経営大学院教授、SMBCコンサルティング講師、日経ビジネススクール講師、日経BPセミナー講師など、のべ約4万人以上の受講生に対する豊富な教職経験を有する。


スペシャリストを目指し、腹をくくった


─マーケティングのプロになった経緯をお聞かせください

僕が新卒で入ったのは松下電器(現・パナソニック株式会社)なんですが、たまたま配属されたのがマーケティングの部署だったんです。自分で希望したわけではないんですよ。むしろ僕は海外営業希望だったんです。
事前の情報では「海外営業に配属が決まりそう」ということだったのでその気になっていたのに、正式な発表では「企画に行ってくれ」と告げられて驚きました。

配属先の企画部の上司からは「そう長くいることはないだろう」「勉強期間と思って」と言われたのですが、結局、退社までそのままでした(笑)
僕が辞めるとき、「だから早く海外に行かせればよかったのに」と営業から人事部長あてに苦情があがったとも聞いています。でも結果からすると、松下で一貫してマーケティングの仕事に携わることができたことに感謝しています。

─松下を辞めたあとはどうされたのでしょうか?

30歳で三和総研に転職しました。経営コンサルティングの仕事に就きたかったんです。
三和総研では財務や人事のプロジェクトなど幅広くやらせてもらいましたが、僕はかねてから「経営コンサルタントという職につくからには、何らかの専門性を構築すべき」と考えていました。そこで、35歳くらいの頃でしょうか、「今までやっていて一番楽しかったのは何だろう?」と自問自答したところ、自分が究めるべき道はマーケティングだと再認識しました。

「マーケティングのスペシャリストを目指す」と腹をくくってからは、「マーケティングをやりたい」と強く希望を出し、マーケティングに重点を置いたプロジェクトがあれば積極的にアサインしてもらって経験を積みました。

学習意欲を満たすのが楽しい

─シナプスは、まさに“スペシャリスト集団”ですよね

我々はそもそも「マーケティング」に特化した組織なので、コンサルタントごとの違いは(三和総研ほど)大きくありません。
でも、海老原はBtoB、後藤はメディカルといった具合に、それぞれの得意分野は確かに分かれていますね。
特に、後藤が得意としているメディカルは、すごくクセがあるから高い専門性が求められるんです。規制が多いし、商習慣も他とはまるで違います。簡単にはいかないんですよ。


─と言いつつ、家弓さんはどんな分野でも対応できるという噂ですが

そんな噂が流れていますか(笑)
はい、講師としてならあらゆる産業に対応できますね。
その中で、あえて僕の得意分野をあげるとすればIT系BtoBです。IT産業はコンサルや教育に対してしっかり投資をしてくれるので、うちの経験値としても大変高いんです。だから、IT産業の案件は特に自信をもって対応できます。

─家弓さんにとって、“得意”と“好き”は違うのでしょうか?

いや、僕は“なんでも屋”ですから(笑)
妙な苦手意識など持たず、産業を問わずに仕事してきたからこそ能力開発できたと思っています。
うちのお客様のほとんどは上場企業またはその関連会社ですが、業種業態はさまざまです。マーケティングにフォーカスする以上、ジャンルにはこだわりません。

コンサルティングには、学習要素が大きく関わってきます。業界慣習などはもちろんのこと、今後どうなっていくのか分析するための基礎学習も欠かせません。特定の業界に限定せず、いろんな業界に飛びこんでいって自分の学習意欲を満たしたり経験を積めるのは、僕にとってはとても楽しいことなんです。
さまざまな業界の裏事情や業界地図を見ることができるのも、楽しみのひとつです。

“組織としての力”を最大限に高めるために

─シナプス創業時のお話を聞かせてください


創業当初の社員は僕ひとりだったので、「自分ひとりが食えればいい」と思っていました。実際、売上げを支えていたのは僕の個人的なネットワークによるコンサルティング案件と、Webサイトからのインバウンドによる研修が50%ずつくらいだったと記憶しています。
従業員を雇い入れたのは、設立から3年くらい経ってからのことです。

従業員第一号は、知り合いに頼まれて入れた大学生です。ちょうど公開講座を立ち上げたタイミングだったので、最初はアルバイトでバックヤードの仕事をお願いし、卒業のタイミングでそのまま社員として雇い入れました。そう、第一号は新卒です。無謀ですよね(笑)
その半年後くらいに、もうひとり増えました。とあるセミナーで、講演後に「弟子入りしたい」と頼まれたので「では来てください」と(笑)

その後しばらくは業績が右肩上がりだったのもあって社員が増えていったんですが、リーマンショックを境に人数を減らさざるを得ない状態に陥ってしまいました。

─やはりリーマンショック後は大変だったんですね

そうですね、でも今となってはリーマンショックは良いきっかけになったと考えています。
創業からずっと順調に成長してきたにも関わらず、たちまち逆境に陥ることもあるのだと、あの不況期に身をもって実感しました。

リーマンショックを経験したことで「“組織としての力”を強化するためのビジネスモデルを作ろう」と真剣に考え、変革に取り組んできました。その結果、営業力、コンサル力、コンテンツ力など、現在の弊社の組織力としての強さは当時の比ではありません。まさに“再生”ですよね。

創業からこれまでに色々なことがありましたが、シナプスを起業したこと自体には後悔は全くありません。
僕はコンサルタント時代、クライアントに対して理念ビジョンを問うていました。それなのに、自分が起業したときには理念ビジョンなんて作らなかった。でも、だんだんと社員が増えてメンバーの求心力が必要になったとき、初めて理念ビジョンが必要だと痛感しました。

経営コンサルタントしてずいぶん長い間コミットしてきましたが、起業前の僕は本当の意味で経営者のマインドが分かっていなかったのかもしれません。きっと、経営の仕事は経営者にならないと分からないんですね。そういう視点を持てるようになったことも、自分にとっての資産だと感じています。

─シナプスを率いる経営者としての、家弓さんの考えをお聞かせください

もう数年前の話になりますが、僕は自分の担当クライアントを全て手放しました。
理由ですか? コンサルタントに権限委譲したかったからです。

僕がフロントに立っているかぎり、クライアントはどうしても家弓個人の紐付きになりますよね。それは、僕が目指しているものとは違うんです。僕は“家弓カンパニー”をやりたいわけではないので、組織としての顧客基盤を作らなくてはいけない。

極端なことをいえば、僕がいなくても問題なく仕事がまわる組織を作りたいんです。
自分では、経営者としてはまだ試行錯誤を続けている段階だと思っています。ただ、僕にとって「コンサルタントが活躍してくれる組織の実現」は経営者としてのダイナミズムであり、一番の喜びだということは確信しています。

今のメンバーは、正直、精鋭だと思っています。
全員が講師をやれるし、コンサルティングのプロジェクトを自分で取ってきて自分でまわせる。力のある人間たちなので、まず前提として「期待どおりのパフォーマンスを出してくれる」という安心感があります。経営者としての僕がやるべきことは、そんな彼らのあくなき成長欲求を正面から受け止め、惜しみなく機会を与え、一流の組織の実現に向かって日々邁進することだと考えています。


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